Metal Fatigue III

一般オタクの日記帳

ファンの多様性と境界の話:What do "we" want?

こんばんは、ちたんです。

今回は「ファンのあるべきとは何か?」って話。

いくつかは僕がよく飲み会でネタにしてる話ではあるけど、このタイミングで話したくなったきっかけの出来事なんかもあるので後述します。

 

タイトルは以前のこの記事と対にしてあるけど深い意味は無いよ。多分。

twentytwo-titan.hatenablog.com

ファンの多様性の話

ファンを分類する3つの観点

一言に「ファン」と言っても、その内情は多様性を帯びている。

ここでは一旦3つの観点を挙げてみることとする。

 

 

①何を応援しているか?

これは以前の記事でも何度か触れたけど、「コンテンツのファン」か「クリエイターのファン」かって話。

別にこれはVに限った話でもなくて、ゲームやアニメにもゲーム会社やアニメ会社のファンは存在するよね。

界隈にもよるけど、感覚的には6:4~7:3くらいなんじゃないかなと思っている。

 

 

②応援している対象をどの程度肯定しているか?

これはよく友達とする話なんだけど、いわゆるファンの中には

  • 信者タイプ:応援している対象を全肯定しているタイプ。対象に嫌な部分があるとすっと離れていく。
  • 妥協タイプ:応援している対象のことを必ずしも全肯定しておらず、「好きな部分も嫌いな部分もあるけどトータルでは好き」と嫌いな部分を妥協したり目をつぶったりしながら好いているタイプ。

の2種類がいると思うんだよね。

 

これは一見「妥協タイプのほうが応援している対象を俯瞰出来ているから良い」とみせかけてそう単純な問題でもなくて、

例えば応援している対象のコンテンツに受け入れられないほどの改悪が発生した時に、すっと諦めて離れられるのは圧倒的に信者タイプなんだよね。

妥協タイプはこういう時「不満を内に抱えるか文句を言うかしながら、それでもコンテンツから離れられない」といった事態に陥りやすい。

そういう意味で、「コンテンツに接することでより幸せを得ているのは?」と考えると一概にどちらが良いとは言えないんじゃないかな?

 

 

③応援している対象に何を求めているか?

これはほんっっっっっっっとに人それぞれ。

好きなコンテンツの中で腕前を磨いて上位にいたい」人もいれば、

応援している人に対して熱い応援の気持ちを伝えたい」人もいるし、

好きな人をただ見守りたい」人もいるだろうし、

応援しているコンテンツが波乱万丈になっている様を楽しみたい」人もいるはず。

 

このあたりのいわば「応援している対象に抱いている欲求」によって時にそれが大きな問題を起こしたりするんだけど……それは後述します。

 

 

 

そういうお前はどうなん?

これまで挙げた3つの観点について、例として自分がどう考えているかを語ってみます。

自分語りしたいだけでもある。僕のブログなんだし良いよね。

 

 

①何を応援しているか?

多分僕は圧倒的に「クリエイターのファン」だと思う。

このブログでよく取り上げているVTuberについては多分「(敢えてこういう書き方をするけど)クリエイターがどういう能力を持っているのか?」を重視しているところが多い気がする。

 

音ゲーに関しても多分「開発陣がどれだけそのゲームを大事にしているか」をかなり重く見ている。

僕が今一番好きな音ゲーはオンゲキなんだけど、ここ半年くらいはアプデ内容に元気が無くファンの間では「いつサ終してもおかしくない」といった空気が流れていたんだよね。

そんな中ついこの前行われた全国大会のKoP The 4thで、オンゲキ部門閉幕時に田川Dが涙ながらに言ってくれた

オンゲキは終わらせません

の一言がどれだけのファンを喜ばせたことか。

僕は10分間大号泣してた。いや、ほんとに。僕をここまで泣かせたゲームはオンゲキとUNDERTALEだけです。

多分資金面の都合などで出来ることの幅は狭まっているものの、少なくとも「オンゲキやセガ音ゲーの開発陣は本当に自社の音ゲーが好きなんだな」ということがよく伝わって来たんだよね。

そういう所が僕がセガ音ゲーを続けている一番の理由です。

 

えっと、なんだっけ。そうだ何を応援しているかの話だ。

まあ上に書いたことが全てだよね。

後述する「③応援している対象に何を求めているか?」と被る部分もあるけど、僕は「コンテンツに対してそのクリエイターたちがやりたい事をやっている・そしてその内に熱い思いを持っている」ってことが伝わってくる時が一番好きなんだよね。

 

 

②応援している対象をどの程度肯定しているか?

これは僕は100%「妥協タイプ」ですね。

たまに友達から「嫌な部分があるなら離れなよ」なんて言われることもあるけど、それを本当に実行すると何一つ好きな物が無くなるのが僕です

 

どんなに好きなコンテンツでも、クリエイターでも、ましてや友人などの人間関係においても絶対に「好きな部分と嫌いな部分」が存在するんだよね。

でもその嫌いな部分というのは「一般的に良くない部分」とはまた異なるわけで、その「嫌い」が明らかに自分のエゴによる物だったら積極的に妥協していくようには心がけている。

あとは見て見ぬ振りもたまにするかな。「トータルでは好きなんだから別にいいじゃん」とはよく自分に言い聞かせてます。

好きな部分も嫌いな部分もあるのなら、より好きな部分を見て考えることにリソースを割いたほうが絶対楽しいよね。

 

 

③応援している対象に何を求めているか?

これはもう明確に2つあって、「クリエイター自身が幸せであること」と「生み出すコンテンツをクリエイター自身が好いていること」。

 

僕の根本にある考えとして、「やりたくないことをやりたくないと言いながらやれる人」より「やりたいことだけをやりたいと言いながらやっている人」のほうが圧倒的に好きなんだよね。

ストイックな努力型より好きなことに夢中な天才型のほうが好きって感じ。

 

僕自身が努力嫌いで好きなことしか出来ない人間ってのもあるけど、

人の意志って続かないよね」という考えが根本にあるせいか、どうしても努力というものを信用できないし良いことだとも思えない。

だったらその時その時で好きなことを楽しそうにやっている人の方が好きだな、ってことですね。

 

 

 

 

 

 

どこからどこまでが"ファン"なのか

ここからめっちゃ暗い話をします。

でも結論は前向きなので許してください。

前置きこれでいい?

 

 

ファン1の欲求、ファン2の欲求、ファンnの欲求

なんでこんなことを書いたかというと、先日僕が以前から推しているVTuberのAさんに対して寄せ書き企画を主催したんだよね。

寄せ書きということで当然同じAさんのファンの方数十名と直接やり取りをしたんだけど、同じ人のファンなのに応援している観点があまりにも多様だったんですよ。

別にそれ自体は決して悪いことではない。Aさんに限らずコンテンツも人も多角的な魅力があって当然だし、その内どこに魅力を感じて応援するかは人それぞれだよね。

 

さて、ここからちょっと良くないエピソード話をします。ここが本題ではないので軽く触れるに留めるけど、避けては通れない話なので。

寄せ書きはAさんが参加していたリアルイベントで直接渡したんだけどVTuberなのにリアイベ……??)、その際Aさんのファン2人と一緒に行ったんだよね。

そこで、合流してからイベントに行く前にその内の1人の"相談"を受けてきたんだ。

内容は省略して事実として書けることを書くと、

その場でもう1人と一緒に彼を説得していなかったら、そのイベントで何らかの事件が起きていた可能性が高い」んだよね。

説得する過程で僕は彼に事件性のある道具を捨てさせた。そんな物を持って彼をイベントに参加させられないと思ったからだ。

僕のその判断は間違ってなかったと思うし、その時良くない事を防ぐために出来ることはなるべく出来たと思う。

 

まあ、そんな感じのことがあったんですね。詳しく聞きたかったら僕に直接聞いてください。

本題に戻ります。

僕は彼に「お前にファンを名乗る資格なんか無いよ」くらいのことは思ってるんだけど、出来事はともかく冷静に考えた時に

どこからが"ファン"なのか?

って部分が気になったんだよね。

 

企画で色んなファンと会話する中で、いくつか逆に軽い提案を受けることもあったんだけど、

その提案の中にも「クリエイターを喜ばせたい」といった物から「コンテンツとしての面白さに寄与したい」物まで様々だったんだよね。

僕は前述の通り「クリエイターが幸せでいて欲しい」が行動原理にあるので、要は言ってしまえば今回の企画も「Aさん自身を喜ばせること」が一番の目的だった。

でも多様なファンが描き求めるコンテンツの面白さって本当に様々で、その中には「そんなんしてもAさんは嬉しくないだろ」といった提案もあった。

 

ここで前半の話に戻ります。

ファンが応援している対象に求める物って本当に人それぞれ」だと痛感したんだよね。

そして、同じファンなのに正直「相容れないなぁ……」って思ってしまったんですよ。

 

でも、少なくとも提案を受けた際の提案者はみんな純粋に「それをすることがコンテンツの面白さに繋がる」と思っているんだろうな~というのはわかるんだよね。

僕は「Aさんはそれやっても喜ばんやろ……」って提案は断ってしまったんだけど、それが正解だったかは確信が持てないままでいる。

 

 

 

僕の欲求、そして

こんな僕も前述した通り「妥協タイプ」なので別にコンテンツを全肯定しているわけではない。

これは本当に良くないことだと思うんだけど、特に推し活に際しては前々から「リスナー含めた空気感が好き」な面もありリスナー層が広がることに対して抵抗感を覚えるのは事実としてあった。

だから推しが数字を追い求めてたりすると「嫌だなぁ……」って気持ちになることもあるんだけど、でもそれって推しの意向に反したことを思っているわけだよね。

それなのにファンを名乗っていていいのか……?とずっと悩んでいたりはした。

 

そんな中で企画やイベント(の前)にこんなことが起きて、様々なことを思っているファンたちに出会って、一番の感想としては

僕も別にファンでいいじゃん

なんだよね。

 

前述の通り、信者タイプはその感情から盲目的に「冷静に考えるとそのクリエイターは喜ばないんじゃない?」なんてことをやろうとしたりすることだってある。

そして妥協タイプはそもそも好きなコンテンツやクリエイターに対してでもある程度の不満を抱えていることもある。

でも、そのコンテンツやクリエイターに害を成さない限り別にファンで良いんだと思う。

そもそも人が思うことなんて自由だし、そこには法も他人も関与しようがない。

大事なことは「その行動は果たして自分が応援しているコンテンツとって有益なのか?応援しているクリエイターは喜んでくれるのか?」を根本に置いて行動することだと思う。

自分のエゴに走らず、根本の自省を踏まえた上でそれでも応援している対象のことが「好き」なのであれば、それはもうファンで良いんじゃないかな。

最も、そのエゴをコンテンツやクリエイターに押し付け始めたらそれはファンとは呼べないけどね。

 

なんてことを一連の企画を通して思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

一応言っとくんだけど、正直こういう事件ってどこの界隈でもあることだとは思う。

つい最近もそんなニュースがあったみたいだし、この日似たようなことが起こってた可能性を考えるとぞっとはする。でもそれを「この界隈だから起こったんだ、この界隈のファンはどうこう」みたいに言われるのが僕はめちゃくちゃ嫌いです。

僕の体験をぼかして書いた理由も半分くらいはこれなので、その辺はきちんと理解してね。

 

 

 

 

 

 

おわりに

企画通して新しい発見があって良かったね、みたいな話をした後にこういうこと言うのも恐縮なんだけど。

ちょっと疲れちゃったよね……。

 

僕はあの日、3回ほど背筋が凍るような思いをした。

滅多に無い(いやそもそも1回でもある方がおかしいんだけど)推しのリアイベなのに、僕はずっとひやひやしていてはっきり言って全然推しとの会話を楽しめなかった。

推しにとってイベントが良い物だったと思って欲しい」と思って行った企画なのに、そんな主催の僕自身がイベントを楽しめなくてどうするよって思っちゃったんだよね。

僕はそんなことのために推し活してるんじゃない。

 

企画自体も2か月近くかけて準備してきたけど、

ちょうど準備期間が「引っ越し+新生活」「仕事でのぷち昇進に伴う諸々手続き」と重なりめちゃくちゃ忙しかったこともあり、正直良くない提案を受けた時含めて何回か心が折れそうになった

もちろん企画に際して「喜んでくれるといいですね!」とか「参加は出来ないけど企画が上手くいくよう願ってます」なんて言ってくださった方もいて、そういった声が誇張抜きで企画準備の心の支えになってたし、寄せ書きをお渡しした推しは喜んでくれたしで企画自体はやって良かったと思ってる。

けど、しばらくは目立つことするのやめようかな……と思ったのでした。

推したちのことは変わらず大好きだし、当面は一般リスナーしようと思います。

 

 

抱えていた色んな事がようやく片付いたので、諸々止まっていた趣味にも手を出したいね。

オンゲキもmaimaiもやりたいし譜面も作りたいしQiitaも始めたしPythonDTMも興味あるし遊びたい友達もたくさんいるので、好きなことやってこうと思います。

あとカフェインそろそろ控えないとやばい。このままじゃ去年末に立てた行動指針なんも守れてないので来月からはしっかりします。

 

 

お読み頂きありがとうございました!

それでは~